このデイジー図書は、著作権法第37条第3項に基づき、障害や高齢等の理由で、通常の活字による読書が困難な人のために、いちえ会がマルチメディアデイジー化したものです。
1.このマルチメディアデイジー図書は合成音声で録音しています。聞き取りづらい場合がありますのでご了承ください。
2.このマルチメディアデイジー図書は、2010年7月に公表されたJAXA宇宙科学研究所 月・惑星探査プログラムグループ 小野瀬直美氏による「はやぶさ君の冒険日誌 2010 (ただいま!)」を収録したものです。
3.このマルチメディアデイジー図書の階層はレベル2です。
ここは太陽系第3惑星・地球。地球には、宇宙から石が時々降ってくる。隕石だ。この隕石のふるさとは、主に地球より外側を回っている、火星と木星との間を中心とする小惑星帯だといわれている。小惑星帯とは地球よりずっと小さい岩のかたまりがたくさんあるところだ。小惑星は見つかっているものだけで数十万個もあるんだよ。といっても映画でよくあるように『100mごとに岩のかたまりがあらわれる』わけではないけどね。小惑星帯はとっても広いんだ。
小惑星には、地球の歴史を知るのに重要な手がかりが残されているらしい。地球に落ちてきた隕石を調べてみると、45億年前に作られたものもあるんだよ。小惑星の中には、一度も熔けたことがないのでは?と言われているものがある。そんな小惑星が何でできているのかを調べれば、地球の中身のこともわかるんだ。地球の場合、一度どろどろに熔けてしまったから、重たいものはほとんど地面の奥のずっと深くに沈んでしまって調べられないんだって。
小惑星の中には、近地球型小惑星と呼ばれる、地球の軌道近くを回っているものがある。これからぼくが出かける小惑星、イトカワもその一つだ。
この小惑星はアメリカの研究所が見つけたもので、正式な名前が付くまでの間は1998SF36って呼ばれていたんだ。ぼくの探査が決まったときに、日本のロケットの父、糸川先生のお名前を頂いて、この小惑星をイトカワと命名してもらったんだ。
今のところ、小惑星のことはそんなに良くわかっていない。遠くにあるし、小さいからね。どの隕石がどの小惑星から来たかだって、いろんな科学者たちが議論しているほどだ。もちろん、形が知られている小惑星もごくわずかしかだ。さらに、イトカワの直径は約300m〔注1〕と予測されていて、これは今までの探査機が撮影した小惑星の中でも格段に小さい。こんな小さな小惑星は、いったいどんな素顔をしているのだろう。想像するだけでわくわくするよ。
ぼくの使命は、これから始まる小惑星探査時代に必要な技術の数々を、実際に確かめるパイオニアになることだ。軽トラックに乗ってしまうほどの大きさのぼくの体の中には、新型のイオンエンジンをはじめとするたくさんの最新技術と、太陽系大航海時代への夢が詰まっている。
ぼくはこれらの最新技術を試しながら、近地球型小惑星イトカワへ行って、その形や表面の様子をじっくりと調べることになっている。そして、イトカワ表面の岩のかけらを採ってきて、地球で待っている科学者たちの手に無事送り届けたい。
2003年5月9日、ぼくはM-V-5号機のロケットに乗って鹿児島県内之浦から旅立った。打ち上げの間中ぼくを守っていてくれた、ロケットの頭のカバーがはずれ、ぼくは漆黒の宇宙を進んでいく。ぼくの足下に浮かぶ地球は、ひときわ碧い惑星だった。この惑星で待つ人々の期待と想いを胸に、今日ぼくは旅立つ。ターゲットマーカ〔注2〕に名前を刻んでくれた88万人のみんな、必ずみんなの名前をイトカワに届けるからね。そして、イトカワの情報とかけらを持って、きっと戻ってくるからね。
打ち上げ成功と共に、ぼくの名前は『MUSES-C』から『はやぶさ』になった。鷹の仲間の隼が、上空から狙った獲物めがけて舞い降り、確実にこれを捕らえるように、ぼくも上手にイトカワの上に舞い降り、そのかけらを取ってこられるように、という願いがこめられている。
ぼくは太陽電池パネルを広げ、太陽の光を電気に変えた。この電気の力でイオンエンジン〔注3〕を動かす。このエンジンを本格的に使うのは、ぼくが初めてなんだよ。イオンエンジンは普通の化学推進〔注4〕と較べると、とても効率がよいので、持っていく推進剤〔注5〕が少なくてすむんだ。でも、力はそんなに強くないから、長い時間をかけて少しずつ少しずつ加速してゆくんだよ。
正しい方向に、正しい量だけ、正しいタイミングで、加速し続けなくてはいけないのはとっても難しいけど、ぼくの持っている最新のコンピュータと、地上にいる人たちが毎週送ってくれる予定表を合わせれば、きっと大丈夫。
ほぼ毎日、地球にいる科学者たちは、ぼくと地球との間の距離や、ぼくの速度を測ってくれていて、ぼくの進むべき道を何度も計算しなおしながら予定表を作ってくれる。みんなといっしょに体調チェックもする。太陽電池OK、計測機器の動作OK、各部分の温度OK、コンピュータも元気いっぱいだよ。イオンエンジンも快調のようだ。さぁ、これからイトカワに向かう長旅の始まりだ。
2004年5月19日、ぼくは再び地球に近づいた。地球の重力を利用してグンと加速〔注6〕するためだ。なぜこのようなことをするのかというと、理由は簡単だ。地球に引っ張ってもらって速度をあげればその分、推進剤が節約できるからなんだ。推進剤を減らせられれば、その分観察の道具を持っていけるからね。
ただし、狙ったとおりの速度で、狙ったとおりの場所を、狙ったとおりの時間に通り抜ける必要があるんだ。でないと、思ってもいなかった方向に飛ばされてしまう。だから、地球スイングバイの前後には、イオンエンジンもしばらく止めて、特に念入りに、地球の科学者たちに、ぼくの距離と速度を測ってもらったんだ。ぼくの軌道をできるだけ正確に調べて、地球スイングバイの前にちゃんとぼくが微調節できるようにね。
地球スイングバイの後は、ひたすら地球から離れ、イトカワへ向かって進んでいく。ぼくの出した電波が地球に届くまでの時間は、どんどん長くなっていく。通信もゆっくり〔注7〕としか出来なくなる。
やがて、太陽からの距離も遠くなり、イオンエンジンをつけるだけの電気がつくれなくなった。ここは寒いから、ぼくはたくさんのヒーターをつけて、凍り付かないようにしているんだけど、今は、どのヒーターをつけるかまで、ちゃんと考えないといけないくらいなんだ。でも、これも計画通り。ぼくのコンピュータには、そのためのプログラムがちゃんと入っている。それにあともう少し辛抱すれば、また、太陽に近づくから、イオンエンジンも動かせるようになるんだ。
2005年7月17日、地球と太陽とがちょうど重なった。地球と連絡が取れない日が一週間ほども続く。二週間くらいなら、ぼくは一人で旅を続けられるはずなんだ。だけど、これまでの旅路では地球にいる科学者たちといつも連絡を取っていたから、いざ連絡が取れないとなるとちょっと不安もあった。だから、また地球との連絡が取れたときにはうれしかった。
2005年7月29日、スタートラッカ〔注8〕でイトカワを撮影した。
たくさんの星の中で、イトカワは予想通りの位置にいて、予想通りの明るさの変化〔注9〕をしていたよ。今では、ぼくの一番近くにある天体がイトカワだ。今までは地球の科学者たちに決めてもらったとおりの道をたどってきたけど、これからは、自分の目でもイトカワの位置を確認しながら舵を取っていく。
地球はもう遠くになってしまったから、ぼくが自分の目で見た情報がとっても重要になって来るんだ。
2005年9月12日午前10時、しずしずとイトカワに近づいていたぼくは、最後のブレーキをかけ、イトカワの上空20kmに静止した。長い方の直径が540mほどの、ラッコみたいな形をしたイトカワの上には、思った以上に大きな岩がたくさん転がっていた。小さな小惑星って、こんな素顔をしているんだ! 初めて見たよ!
ぼくはイトカワに寄り添って飛びながら、一緒に太陽のまわりを回る。イトカワが12時間周期で自転してくれているおかげで、ぼくはいろいろな角度からイトカワを観測し、写真を撮ることができる。これらの写真を使って、まず、イトカワ全体の大まかな地図を作って、それから、ぼくがどこに降りるかを決めるんだそうだ。
2005年9月30日からは、イトカワから7kmの位置まで近づいて観測を続ける。
やっぱり岩だらけのラッコだ。どうやってできたのだろう? ほんとうに不思議だ。
目で見える普通の光で写真を撮る他にも、赤外線で小惑星表面の鉱物の組み合わせを調べたり、X線で地表にどのような元素が含まれているかを調べたりする。X線や赤外線などの、目に見えない光を使うと、小惑星の材料についての情報が得られるんだ。
ぼくの送ったデータを科学者たちが解析した結果、イトカワの材料は普通コンドライト〔注10〕とほぼ同じだそうだ。また、地域による材料の違いはないらしい。とはいえ、明るい部分や暗い部分、岩だらけの部分や小石を敷き詰めたような部分と、イトカワにはいろいろな模様が見られるけどね。
それから、イトカワの密度は1.9g/で、普通コンドライトの密度3.2g/と比べて、ずっと小さい。これはイトカワが、すかすかのがれきの積み重なりであることを意味するんだ。これは、重力が小さいイトカワならではのことで、地球みたいに大きな惑星ではあり得ないことだよ。
2005年11月4日、着陸の練習をすることになった。思ってもみなかったほど岩だらけで危ないイトカワ。なのに、ぼくの向きを調節するのに必要な弾み車〔注11〕は、3つのうちの2つが壊れてしまっている。その替わりに、ぼくは12個の小さな化学推進エンジン〔注3〕を使って向きや速度を調節しているんだけど、シュッと吹くタイプのエンジンだけに、さじ加減がなかなか難しい。
この日は、イトカワに700mの距離まで近づいて引き返した。近くで見たイトカワの姿は、出発前にみんなと考えていた「小惑星」の姿とはあまりにも違う。
2005年11月9日、今度は70mの距離まで近づく。思った通りの場所に降りるのはとても難しい。
今日は、ターゲットマーカを投げて、ぼくがそれを見つけられるかを試してみた。こちらの方はいたって順調だ。
今までぼくと一緒に長い旅をしてきた、小さなロボットのミネルバちゃんを紹介しよう。ミネルバちゃんは16本のとげを持っていて、小惑星の上をぴょんぴょんと飛び跳ねながら動くことになっている。これは、重力のとても小さな小惑星の表面で移動するために、新しく考え出された動き方なんだ。ミネルバちゃんはカメラを持っていて、小惑星の表面から見た写真をぼくに送ってくれる。それをぼくが地球に向かって送信する、という予定になっている。
2005年11月12日、いよいよミネルバちゃんをイトカワ表面に向けて降ろすことになった。ずーっと冬眠していたミネルバちゃんを、ぼくは静かに暖めた。ぼくはミネルバちゃんを抱えたまま、ゆっくりとイトカワに近づく。
そして、合図と同時にミネルバちゃんを切り離した。ミネルバちゃんは長い眠りから覚め、ぼくの太陽電池の写真を撮ってくれたんだよ。だけど、残念ながら、ミネルバちゃんからのイトカワに着いたという報告はなかった。ミネルバちゃんは、今もイトカワと一緒に太陽のまわりを回っているんだろうなぁ。
2005年11月20日。イトカワと一緒に太陽のまわりを回っているうちに、だんだんとイトカワの様子がわかってきた。いよいよイトカワ表面の岩を取りに行く。地球に落ちてきた隕石と、望遠鏡で観測した小惑星とを結ぶ鍵であるイトカワのかけら。これを地球に持って帰ることがぼくの使命の一つなのだ。
岩だらけのイトカワに近づいていくのは、とても危険だ。なぜなら、ぼくは、太陽から離れた所でも動けるように、大きな太陽電池パネルを広げている。そして、遠くまで旅をするために、できるだけ軽く作られている。だから、岩にぶつかると壊れてしまうかもしれないんだ。そこで、ぼくはレーザーを使って地面からの距離を測ったり、太陽電池パネルの下に岩がないかを確かめたりしながら、慎重に近づくんだ。
ぼくの送った写真を見て、地球にいる科学者たちが選んだ場所は、「ミューゼスの海〔注12〕」と呼ばれるイトカワの中では比較的平らな部分だ。
直径40mほどしかないその場所に、ぼくはゆっくりと降りていく。地球にいる科学者たちも、刻一刻と変わるデータを、じっと見守っている。
イトカワまでの距離が100mになったとき、地上からの信号が来た。「Go」だ。あとは、自分で判断しながら降りて行くんだ。なぜなら、地球にいる科学者たちに問い合わせていると、その答えが返ってくるまでに30分以上もかかってしまうからだ。とても待ってはいられないよ。
イトカワから40mの距離まで来たところで、88万人のみんなの署名と想いの詰まったターゲットマーカを放出した。虚空の中を緩やかに降下してゆくターゲットマーカ。その影と、ぼくの影だけがイトカワの表面にくっきりと浮かび上がっていた。それに導かれるように、ぼくは、イトカワに近づいていく。
あと17mだ。ちょっと立ち止まって、アンテナを切り替えてから、太陽電池パネルをイトカワ表面と平行にするために、ちょっとだけ向きを変えた。もう一度、慎重に降下をする。その時、太陽電池パネルの下に何かがあるのを感じたんだ。
いったんは戻ろうかと思ったんだけど、横に動いてから降りた。そのほうが安全だと考えたんだ。やがてぼくは、イトカワ表面で2回ほど跳ね返ってから、横たわって着陸した。
何とかして立ち上がろうとしたけど、どうもうまくいかない。本物のイトカワは、ぼくらが前から想像していたものとは、あまりにも大きく違っていたのだ。こっちに来てからぼくが地球に送った、本物のイトカワのデータを見た科学者達は、予定表を書きなおしては送ってくれている。だけど、それでも間に合わないほど、「知らなかったこと」に満ちあふれている場所に、ぼくは今、来ているんだ。ここにはたくさんの危険な岩があるし、熱い。さすがにもうイトカワから離れなければいけない。そうぼくが思ったとき、地球からも離陸するように連絡が来た。残念に思ったが、ぼくはイトカワから飛び立った。
2005年11月21日。ふと気がついてみると、ぼくはイトカワから遙か遠くに来ていた。そして、地球にいる科学者たちから、もう一度イトカワに近づくようにとの連絡を受けた。ぼくだってもう一度挑戦して、今度こそはイトカワの岩のかけらを手に入れたい。
この辺で、岩のかけらを採取する方法を紹介しよう。
ぼくがここに来るまでは、イトカワの表面がどんな様子なのかを、誰も知らなかった。砂に覆われているのか、石ころが転がっているのか、それとも大きな一枚岩なのか。だから、イトカワの表面がどんな状態でも、岩のかけらを取ってこられるように、いろいろと考えて実験を重ねてくれたそうだ。
重力の小さな小惑星上で、どうやって岩のかけらを拾うのか。地球上や月面上でやるように、シャベルをつっこむ、という訳にはいかない。そんなことをしたらぼくの方が反動で吹っ飛ばされてしまうからね。小惑星の小さな重力では、シャベルをつっこもうとするぼくを地上に引き留めることはできないのだ。
そこで思い出したのが、水に石を投げ込んだときの水しぶきだ。
あれと同じように、イトカワの表面にものすごい速さで金属のかたまりをぶつけて、飛び出してくる『岩しぶき』を、先の拡がった筒を使って集めて、ぼくの内ポケットに詰める。イトカワの重力は小さいから、飛び出した岩しぶきの多くは、イトカワに取り返されることなく、ぼくの内ポケットまで入って来るんだ。
2005年11月25日、ぼくは再びイトカワ表面を目指す。前回は慎重になりすぎたので、今度はもっと積極的に岩のかけらを拾おうと思う。目指す地点は、前回と同じミューゼスの海だ。少しずつ、少しずつ近づいていくと、なんと、88万人のみんなの署名の載ったターゲットマーカが見えてきた。また見守ってくれるんだね。今度も、ぼくは導かれるようにイトカワの表面をめざした。ゆっくりと、そして石を拾おうという強い意志を持って。
2005年11月26日午前7時7分、ぼくはイトカワの表面に降り立ち、予定通りに動いてから飛び立った。とても緊張していたから、金属のかたまりを上手にぶつけて、イトカワのかけらを採れたかどうかについては、余りよく覚えていない。
2005年11月26日午前11時、地上の人たちの言うとおりに、化学推進エンジンを使ってスピードを下げた。続いて、向きを調節しようとしたときに、ぼくは気を失った。後で聞いたところによると、化学推進用の推進剤が漏れたらしい。これが、思ってもいなかった方向に吹き出したせいで、ぼくは変な方向を向いてしまった。そして、太陽電池パネルに十分な光があたらなくなって、電気も急に足りなくなった。さらに、ぼくの体に付いた推進剤がどんどん蒸発〔注13〕して、体温も大幅に下がった。
2005年11月29日、気がついてみると、ぼくは太陽電池を太陽に向けたまま、ぐるぐると回っていた。これならば、比較的安全に地球の科学者たちの指示を待つことができる。
2005年12月2日。化学推進エンジンを動かそうとしてみる。が、力がでない。困った。
2005年12月4日、地上の科学者から、キセノンガスをそのまま吹いてみろ、といわれた。キセノンガスはイオンエンジンに使われているものだ。それを、イオンにしないでそのまま吹くなんて、思いも寄らない指示だった。
けど、とりあえずやってみると、徐々に向きが変わって、地球にいる科学者たちと連絡が取りやすくなった。
2005年12月8日、臼田宇宙空間観測所〔注14〕との通信中にまたもや気を失う。体の中に残っていた推進剤が、また思ってもいなかった方向に吹き出してしまったらしい。太陽電池パネルも太陽の方向から大きくはずれてしまい、力がでない。地球の方向も見失ってしまった。後はただ、ぐるぐる回りながら、臼田からの声が聞こえるのを待つしかない。地球にいる科学者たちも、きっとぼくを捜していてくれるよ。それまで何とかして持ちこたえなきゃ。ぼくは自分に言い聞かせながら、「ここにいるよ」と電波を出し続けた。
地球からも、みんなが必死になって、ぼくを捜していてくれたそうだ。毎日毎日、ぼくの居そうな方向にアンテナを向け、いろいろ条件を変えながら、ずっと、ずっと、捜していてくれたそうだ。
何とかしてぼくを見つけようと、新しいプログラムを書いたり、新しい装置を作ったりしてくれていたらしい。
一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎても、返事の来ない宇宙に向かって、ずっと、ずっと呼びかけてくれていたそうだ。果てしないノイズの波の向こうに、救いを求めるぼくの手が、今日こそは見つからないかと、臼田での受信状況をビデオに録画しては、何度も確認してくれていたそうだ。
2006年1月26日、地球からの呼びかけが、かすかに聞こえた。20秒ほど聞こえて、その後30秒ほどは何も聞こえない事から考えて、ぼくは地球とはかなりずれた方向を軸にして、回っているようだ。でも、そのわずか20秒の間に、ちゃんと連絡事項が書いてある。ぼくは必死になってその質問に答えた。後でわかったことだが、地球にいる科学者たちは、1月23日にぼくが50秒周期で回っているのを見つけてくれたらしい。そして、20秒の間で連絡をつける方法を、考え出してくれたそうだ。
地球との連絡が取れるようになって本当によかった。ぼくを捜してくれた科学者のみんな、そして、ぼくを心配してくれたもっとたくさんのみんな、本当にありがとう。
2006年3月1日、久しぶりに地球からの距離を測ってもらえるまでに回復した。科学者たちに教えてもらって、少しずつ、少しずつ、キセノンガスを吹いて、アンテナを地球に向けられるようにしたんだ。
2006年6月1日、連絡が取れるようになったおかげで、だんだんと今の状況がわかってきた。地球にいる科学者たちに体調を詳しく報告したり、教えられたとおりに、ヒーターをつけて暖めてみたり、イオンエンジンをつけてみたりしたんだ。今までに、向きを安定させるための弾み車が2台故障し、化学推進エンジンのための推進剤もなくなってしまっている。たくさん積んできた電池も、いくつかだめになってしまっているらしい。しかも、ぼくが気を失っている間に、2007年に地球に帰る軌道に乗り遅れ〔注15〕てしまったらしいのだ。かなり大変なことになってしまっている。
でも、ぼくはまだ生きているし、地球と連絡も取れる。太陽電池も、イオンエンジンも、キセノンガスもある。
もしかしたら、少しは岩のかけらを拾えているかもしれないって、言ってくれた人もいるよ。正確なところは地球に帰ってからでないとわからないそうだけど。科学者たちは2010年に地球に帰る軌道も計算してくれている。簡単な事ではないらしい。でも、ぼくはきっと帰ってみせる。
まず、ちょっと速めに回りながら、ヒーターをつけて、残っている推進剤を乾かした。推進剤が少々吹き出しても、ぐるぐる回っていれば、ぼくの向きは変わりにくいからね。今は、太陽から遠い所にいるから、体を十分に暖めることは出来なかったけど、しばらくの間はこれで大丈夫。
2006年6月、太陽光の圧力〔注16〕を味方につけた。今までは、ぼくの向きを勝手に変える邪魔者だとばかり思っていたけど、太陽光の圧力を考えに入れて向きを調節すれば、キセノンガスを節約できるそうだ。
2006年7月から9月にかけて、電池を充電した。壊れた電池〔注17〕には本当は充電したくないんだけど、切り離せないから仕方がない。
ぼくは意を決して、壊れた4個の電池のようすをじっと見ながら、地球と連絡が取れる間だけ、慎重に、慎重に、少しずつ、少しずつ、充電したんだ。
2006年12月中ごろ、また太陽に近づいてきたので、また、ちょっと速めに回りながら、ヒーターをつけて、推進剤を乾かした。
せっかく採ってきたイトカワのかけらに推進剤が付いたら嫌だからね。かけらの入った入れ物をリエントリーカプセルに運ぶ通路も、念入りに暖めた。
2007年1月17日、いよいよ、イトカワのかけらが入っているかもしれない入れ物をリエントリーカプセルに運ぶ。ぼくは、夏の間に充電した電池を使ってこの仕掛けを動かした。やりなおしのできない、一発勝負だ。地上の科学者と一緒に確認をしながら、一つ一つ、動かしていく。最後に蓋を閉めると、カプセルの温度がちょっとだけ下がった。成功だ。
2007年2月22日、久しぶりにイオンエンジンをつけた。調子は上々だ。イオンエンジンを乗せている台をちょっと傾けながら吹くと少しだけ向きが変わる。これからは、この方法を、今までよりももっと計画的に使うことにする。
そろそろ回るのをやめる時期が来た。地球に帰るためには、狙った方向に向けて、イオンエンジンを吹きつづけなくてはいけないからね。これからしばらくは、イオンエンジンをつかって、ぼくの回転を止める。
ゆっくりとゆっくりと。慎重にね。
2007年4月20日、イオンエンジンのうちの1台の調子が良くない。地球にいる科学者たちは、イオンエンジン1台でも地球に帰れる予定表を作ってくれた。
2007年4月25日、ぼくはイトカワでの想い出を胸に、地球に向かって旅立つ。この不思議な形をした小惑星も見納めか、と思うとちょっと名残惜しい。ここに来て、たくさんの観測をする間に、ぼくは、満身創痍になってしまった。けれども、その度に、ぼくを支えてくれているみんなの創意工夫で乗り越えて来たんだ。だからこそ、これからもうひと仕事、岩のかけらの入っている可能性の高いカプセルを、何とかして地球で待っている科学者たちの手に送り届けたい。
2007年6月9日、太陽に近づいた。今が一番暑いときだ。地球にいる科学者たちと連絡を取りながら、体温の上昇や、イオンエンジンを吹く向きに気を配る。みんなは、ぼくの送るデータを見ながら、毎日、向きの微調節を教えてくれる。ぼくがちゃんと正しい道を進んでいるかも、こまめに計算してくれているよ。向きを変える方法が少なくなってしまった分、来たときよりも細かいところまで気を使わなければならない。
でもぼくは、地球にいる科学者たちの送ってくれる予定表を信じて、地球へ戻る長い旅路を一歩、一歩、進んで行く。高村光太郎さんの詩「道程」のように、ぼくの歩いたあとが道になるんだ。
2007年7月26日、あかりちゃんがイトカワの写真を撮ってくれた。あかりちゃんは、赤外線で宇宙を見る望遠鏡を積んだ、赤外線天文衛星で、宇宙に浮かんでいるから、地球の空気に邪魔されずに星を見られるんだよ。地球の周りを回りながら、空一面の写真を撮って、赤外線で見た宇宙の地図を作っているそうだ。イトカワは太陽の熱で温まっているから、赤外線で見ると案外明るいんだよ。あかりちゃんが送ってくれた写真を3枚重ねて見ると、恒星の間をイトカワが走り抜けていくのが見える。
恒星と比べると、イトカワはずっと地球の近くにいるからね。あかりちゃんからイトカワがどんな風に見えるかには、イトカワの大きさや形、回転、表面の状態などが関係しているんだよ。あかりちゃんの写真と、ぼくが小惑星まで行って調べてきた情報とをうまく組み合わせて、関係式を作れれば、あかりちゃんが撮った小惑星の写真から、いろいろな情報が引き出せるようになる。あかりちゃんは、一人でたくさんの小惑星を見ることができるから、効率的だよね。
2007年7月28日、イオンエンジンCの点火に成功した。ぼくは4台のイオンエンジンを持っていて、その中のBとCとDを使ってきたんだ。けど、イオンエンジンCを使うのは、ずいぶん久しぶりになる。太陽からの距離や、体温がちょうど良くなるのを待ってから、恐る恐る点火してみたんだ。意外とすんなりついたし、調子もよさそうだったので、イオンエンジンDを休ませて、しばらくはイオンエンジンCを使っていく。
2007年10月18日。ここで、いったん停止して、という連絡が来た。予定通りに進んだので、太陽から離れるしばらくの間は、お休みになるのだそうだ。
ぼくは、イオンエンジンを止めて、また、くるくる回りながら、太陽の周りをゆっくりと回ることになった。「冬眠モード」と呼ぶ人も多いけど、ぼくは完全には寝ていない。運用時間には、体調の報告もしているし、地球からの距離や速度も測ってもらっているんだよ。
ただ、イオンエンジンを吹いていないし、回っているから、向きとか軌道がぶれにくくて、ちょっと楽、とも言えるね。
この後、2008年の2月ごろと、2009年の8月ごろに遠日点を通過した。ぼくの軌道の中で太陽からの距離が大きくなる時期だ。寒いし電力がぎりぎりなので、地球に帰るのに必要な機械の周りのヒーターの優先順位を上げて、凍りつかないようにする。
2009年2月4日、イオンエンジンを再点火した。予定通りの力をちゃんと出し続けているか、向きは大丈夫か、何度もチェックしながら慎重に加速を続けていく。
2009年11月4日、イオンエンジンDの調子が変だったので、いったん止めて地球にいる科学者たちに報告した。イオンエンジンの部品の一つ、中和器が故障したらしい。ずいぶん長い間、使い続けてきたからなぁ。イオンエンジンCも傷みだしている。検討に検討を重ねた科学者たちが教えてくれたのは、イオンエンジンのAとBを組み合わせる方法だった。
イオンエンジンAの中和器は新品同然なんだ。万が一のための配線が役に立ったんだって。
2009年の暮れ、ぼくはイオンエンジンをいったん止めて、地球からの距離と速度をより正確に測ってもらった。そして、2010年1月1日、再びイオンエンジンを点火し、地球帰還への道を慎重に進み始めた。
2010年3月27日、ぼくはイオンエンジンを一旦止めた。これからは最後の軌道微調節だ。何度も丁寧に距離を測ってもらっては、イオンエンジンを吹いて少しずつ軌道を変える事を繰り返す。地上の科学者が綿密に計算してくれた予定表に従って、丁寧に、丁寧に軌道を調節していく。まるで二人三脚のようだ。
2010年6月13日、ようやく地球に戻ってきた。旅立った時と同じ碧い惑星。ついに戻ってきた!ぼくの感激は、旅立ちの時以上だ。
さあ、ここからが正念場。この長い冒険の旅で手に入れた貴重なイトカワの岩のかけらを、地球で待っている人たちの手に無事手渡さなければならない。大事に持ってきた岩のかけらの入ったカプセルを、切り離し、地上に向かって落とす。これがなかなか難しい事なんだ。
大気圏に再突入する3時間前、ぼくは思いきってリエントリーカプセルを切り離した。計算通りの角度、速度で、カプセルは地球へと向かっていく。そして、ぼくは地球の方向にカメラを向け、撮影を行った。写真のデータを送っている途中で、うっちーさん〔注19〕が見えなくなってしまったけど、肝心なところは上手く送れたらしい。
やがて、カプセルは大気圏に突入し、カプセルは熱いプラズマに包まれた。そのプラズマを切り裂くように中華鍋の形のカプセルは進む。熔けないでくれ。壊れないでくれ。通信の途絶えたカプセルをぼくは祈るような気持ちで見守る。やがて、ぼくも大気圏に飛び込み、特大の流れ星になった。
みんな、ただいま!
熱い外側の殻をはずし、身軽になったカプセルは十字型のパラシュートを広げ、ゆっくりとオーストラリアのウーメラ砂漠に着陸したそうだ。
すぐに、やってきた研究者たちが上空からカプセルを確認し、翌日慎重に回収した。どうやら、中身も無事だったらしい。
これでぼくは任務を完了した。誇りと喜びを胸に、ぼくは気ままな旅に出る。ぼくの持ち帰ったカプセルからは、地球の鉱物とは明らかに違う、小惑星イトカワの石があったらしい。とても小さいそうだけど、ぼくが旅立ってから7年の間に顕微鏡も進歩したっていうから、きっと大丈夫。
これから、いろいろな人々が、いろいろな方法で分析して、太陽系の昔に関する情報が得られるだろう。でも、このことはまた別の機会にお話ししよう。
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「はやぶさ」についてもっと詳しく知りたい方は、以下のホームべージをご覧下さい。
「はやぶさ」地球ヘ!~帰還カウントダウン~
http://hayabusa.jaxa.jp/
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〔注1〕 イトカワの直径:これは2003年当時の予測。実際の直径は540mで、ちょっと大きかった。
〔注2〕 ターゲットマーカ:ぼくが着くまでは、小惑星イトカワの表面がどんな様子かなんて、だれも知らなかったんだ。だから、イトカワに着陸する時には、ぼくが自分でターゲットマーカを落として目印をつけることになった。重力の小さな小惑星の上でも跳ね返らないように、ターゲットマーカにはたくさんのビーズが入っているんだ。また、光を反射しやすい布で包まれているから、とても見つけやすい。なかなかの優れものだ。
〔注3〕 イオンエンジン:電子レンジにも使われているマイクロ波で、キセノンガスをガンガン加熱すると、イオンという「電気を帯びた粒子」になる。このイオンに電圧をかけると、「高いところにあるものが低いところに落ちる時」みたいに加速されるんだ。こうやって作った秒速30km(自動車よりも3400倍も速いよ)のイオンを、ぽんぽんとはじき出す反動で、ぼくの向きや速さが変わるんだ。
〔注4〕 化学推進:燃料と酸化剤を混ぜて、燃やすことによってシュッと噴き出すタイプのエンジン。たとえば、自動車のエンジンはガソリン(燃料のひとつ)と空気(酸化剤のひとつ)を燃やして動いているんだ。だけど、宇宙では空気がないから、ぼくは燃料だけでなく、酸化剤も持って行かなくてはいけないんだ。化学推進エンジンは、一気に大きな力を出せるけど、燃費はイオンエンジンよりずっと悪い。
〔注5〕 推進剤:ロケットや人工衛星を加速させるための、燃料、酸化剤、その他の物質のこと。
〔注6〕 加速:ぼくは、地球のすぐそばをすり抜けることで、太陽の周りを回る地球の公転のエネルギーを、ほんのちょっとだけ分けてもらって速度を上げたんだ。地球に近づく方向によって、加速も減速も出来るんだよ。
〔注7〕 通信もゆっくり:どれくらいの通信速度で地球と連絡をとれるかは、ぼくの向き、3種類のアンテナのうちどれを使うか、そして、地球との距離に影響される。今は、イオンエンジンを吹くために必要な向きを向くことが重要だから、地球と通信しやすい向きを向けるとは限らないんだ。さらに、地球との距離が離れると電波が届きにくくなるから、一番遅い時は8bps(インターネットの通信速度10Mbpsと較べると、百万分の一の速度)で、地球にいる人たちとお話していたんだよ。
〔注8〕 スタートラッカ:ぼくのカメラでとった写真の中の明るい点の位置と、星図に載っている星の位置を見比べて、自分の向きを知る装置。
〔注9〕 明るさの変化:イトカワは細長い形をしていて、さらに回転しているから、見る方向によっては明るくなったり暗くなったりしているんだ。
〔注10〕 コンドライト:地球によく落ちてくる隕石の種類の一つ。コンドリュールと呼ばれる、まるい粒々が入っているんだって。大昔に作られたそうで、太陽系の惑星や小天体の材料に近いと考えられている。
〔注11〕 弾み車:ぼくは、からだの中で円盤をまわしている。つかまるところのない宇宙で、この円盤を回す速度を速くしたり遅くしたりすると、その反動でぼくが回るんだ。
〔注12〕 ミューゼスの海:正式名称はMUSES-C Regio(ミューゼスシー領域)なんだ。
〔注13〕 蒸発:「ぬれたままだと風邪をひくよ」ってよく言われるけど、あれは、服や体についた水が蒸発するときに、熱を奪うから、体が冷えて、寒くなるよってことなんだ。ぼくのまわりは真空だから、ぼくの体についた推進剤はどんどん蒸発してしまった。
〔注14〕 臼田宇宙空間観測所:うすださん:長野県臼田にある、直径64mの遠くまで電波を飛ばせるパラボラアンテナ。いつもぼくを見守ってくれている。
〔注15〕 軌道に乗り遅れ:イトカワと地球では太陽のまわりを回るのにかかる時間がちがう。だから、ぼくが地球に帰るには、地球とイトカワがちょうどよい位置になるタイミングが重要なんだ。チャンスは3年に一回しかない。
〔注16〕 太陽光の圧力:地球の重力や空気抵抗と較べてあまりにも小さいため、地球にいる人たちは実感できないけど、真空中で大きな太陽電池パネルを広げているぼくには、重要な力なんだ。
〔注17〕 壊れた電池:こわれた電池、液漏れのある電池を充電すると、爆発することもあるので、みんなは絶対にまねをしないでね。
〔注19〕 うっちーさん:内之浦宇宙空間観測所の34mアンテナ。少しでも西にあることと、すばやい追跡はうっちーさんのほうが得意なことから、最後の通信は内之浦とおこなったんだ。
好きな色でぬってね!
JAXA
宇宙科学研究所
月・惑星探査プログラムグループ
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<2010年再改訂版>
2010年7月30日
※そして伝説へ ウェブ用に改訂(2011年2月28日)
著者:小野瀬直美
アシスタント:奥平恭子
協力:はやぶさにかかわる方々
観測画像:「はやぶさ」プロジェクトチーム
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書名 はやぶさ君の冒険日誌 2010 (ただいま!)
原本製作 JAXA 宇宙科学研究所 月・惑星探査プログラムグループ 小野瀬直美
デイジー製作完了 2018年10月
デイジー編集・校正 いちえ会 https://www.ichiekai.net/
製作ソフト ChattyInfty3 (AITalk版)
朗読音声 株式会社エーアイ AITalk3