新時代家族 ~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~
平成三十年四月(初版)
総務省 未来デザインチーム
平成三十年四月(初版)
総務省 未来デザインチーム
「面接は以上となります。結果は追ってお伝えします。本日はありがとうございました」
「Terima kasih banyak(ありがとうございました)」
軽く息をつき、同席していた上司にもお疲れ様でしたと軽く会釈をした後、ふとオフィスを眺める。
(入社したときからは随分と変わったもんだ)
ケンスケはそうひとり心の中でつぶやいた。労働力人口減少の解消策として、多くの企業が外国人労働者の積極的な雇用に踏み切った。ケンスケの会社も国際色あふれる光景が広がっている。外国人労働者の受け入れを加速化させたのが、自動翻訳技術の飛躍的向上だ。義務教育以降の語学に真剣に取り組んでこなかったケンスケであったが、自動翻訳技術によって何不自由なくコミュニケーションをとることが出来ている。
「東アジアに、東南アジアに、中東に、アフリカと、あとそれから日本人」
確認するように今日の面接者を指折り数えた。面接の目的は、東南アジアでの通信インフラの整備プロジェクトに必要な人材を、プロジェクトリーダーとして採用することであった。面接は、日本語を話すケンスケ、英語を話す上司、そしてそれぞれの母国語を話す面接を受けに来ていた人たちなどの様々な言語が飛び交うが、翻訳デバイスを通すことで、タイムラグはほぼ無しに、あらゆる言語に翻訳される。他にも、履歴書などの文書をカメラが付いたアイウェア越しに見れば、あらゆる言語に翻訳されてレンズに表示される。さらに、多言語翻訳にとどまらず、バリアフリーを見据えた機能も搭載している。聴覚に障害がある人には、相手が話した内容を、タブレット上に表示し、視覚に障害がある人には、音声で聞こえるようにすることも出来る。まさに「あらゆる翻訳」である。
ケンスケの勤める会社でも体の不自由な人が数多く働いているが、会社の経営陣がVRで障害を持つ人々の世界を疑似体験することでオフィス内の問題点を洗い出しバリアフリーを徹底して進めてきた。
その結果、言語だけでなく、あらゆる場面で障害を持つ人々にフレンドリーな企業として世界的に有名になり、今では世界各国から入社希望のエントリーが届くようになった。
「よしっ。じゃああとはAI様にお任せしてっと」
面接の所感を、業務用タブレットに保存し、AIによる分析も踏まえて採用可否を判断していくことになる。ケンスケが就職活動をした時は、確認に確認を重ねるかのように採用プロセスがとられていたが、今は面接用AIが登場し、評価の部分も担うようになることで、そうした確認作業はあまり意味をなさなくなり、随分と人事部門の働き方も変わった。面接用の専門AIは何十万、何百万人もの人間と面接を重ねることで精度を高めている。
「お疲れさん。良さそうな人材はいたか?」
自席に戻ると、隣の席には商品開発部で働く同期のアンディが陣取っていた。ちなみにアンディは幼い頃から日本アニメに惹かれ、日本語が堪能であるため、ここでは「あらゆる翻訳」の活躍は不要だ。
「おう。現地の状況をよく理解していたよ。この人材たちは一体どこで、って上司も満足している感じだったよ」
「そうか、良い収穫がありそうだな」
そう話す二人だが、周りは閑散としている。会社に来なくても、遠隔でセキュアに仕事ができるようになってからというもの、通勤の手間を厭う勤め人は仕事の場を会社の外に求めた。会社のスペースは大きく減り、出社した人間は部署問わず固まって席に着いている。それぞれ出社の理由は様々だ。ケンスケは家庭以外にそこに行けば自分の居場所が用意されているという安心感が欲しかった。気さくで人当たりが良いアンディは、会社に来て社員と会話することが楽しいそうだ。
アンディは椅子に座ったままこちらに身を寄せてこちらと肩を組み、耳打ちしてきた。
「今日の昼、ユイと飯食べるんだけど一緒に行かねぇ?」
「久しぶりだなあ、ユイ。行く行く。場所は?」
「この前AIが拾ってきた記事に載ってた店。美味いらしい」
「分かった」
昼休みを知らせるチャイムが鳴るや否や、アンディと社外に飛び出す。
店の入り口で端末をかざし、店内に入ると、奥のテーブル席にはユイが先に座っていた。
「よっ、『社畜』諸君、元気にやってる?」
人口減少の余波は外国人労働者の積極的導入だけでなく、副業の積極的な推進にまで及んだ。自分の時間を切り売りして働く人も増え、企業人という概念も薄れつつある。会社に残る同期も減った。ユイもそうした副業の割合が増えた結果、会社を辞めた一人だ。
「俺らは一人の人しか愛せないんだよ。な? ケンスケ」
「四〇過ぎて独身のお前に同意を求められたくねぇよ。ユイ、お前だって集団面接の時、『この会社の社風に惹かれました。』とか言ってたじゃねぇか」
「よくそんな昔のこと覚えてるね。だって、今の方が稼げるんだもん。さっ、ご挨拶はそれくらいにして、早速注文しよ。ここ私も来たかったんだ」
「今日のお勧めは?」
ケンスケはテーブル上に置かれたスピーカーに声をかける。
「今日は大和鶏がおすすめです。魚は大分産のアジが入っています」
「んー、じゃあ肉の方で。ご飯は大盛りで」
スピーカーにしゃべりかけたところ、ケンスケの個人用端末から女性の声がした。
「旦那様。最近不摂生な生活が続いておりますので、ご飯は普通にしてはいかがでしょうか?」
ケンスケの個人用の端末に入っている自分用のAIが助言をしてくる。
「いいの、大盛りで」そう端的に告げる。
「うわー、ケンスケってば奥様いるのに自分のAIに『旦那様』って呼ばせてるわけ? ちょっと引いちゃうなー」
ユイがふざけて軽蔑するような眼差しを向けてくる。その様子をみたアンディもポケットから上機嫌な表情で自分の端末を取り出し、ひょろりとした体格で赤いジャケットを着た男性が映った画面を見せつけてきた。どこかで見たことのあるキャラクターを真似して作られているようだ。
「俺はAIに『とっつぁん』って呼ばせてるぜ」
それはそれでどうかと思う、とユイは嘆息してから、自分の端末を手に取った。画面を見つめ、一瞬表情を緩めたのちに、自慢気に二人に画面を見せびらかせてきた。
「やっぱ、癒やしをくれるのは動物でしょ。見てよこれ、うちのワンちゃん。かわいいんだ」
ユイが示した画面には、銀色の毛並みで凜々しい顔立ちをした犬が映っていた。今や誰もが端末に自分用のAIを持ち、自分の思い通りにカスタマイズされている。ケンスケのAIも半日かけてキャラクリエイトして作り上げたものだ。
自分たちのAIを紹介し終えたところで、各々の端末をテーブルの上に置き、向かい合わせる。こうすることで、AI同士も「会話」をはじめるのだ。「会話」といっても、例えばアンディのAIがこの店の記事を拾ってきたように、それぞれのAIが持ち主の趣味嗜好に合わせて拾ってきた記事や情報を端末同士の無線通信で共有して、話題や流行、トレンドの情報を並列化・高度化している。それでいて持ち主のパーソナルな情報は漏らさないところはしっかり設計されている。
こうしている間、厨房ではロボットたちが料理を作っている。この店では、家庭的な料理から一流シェフが作るようなレシピまで、さまざまなメニューを持ち前の精密動作で再現するAIコックが調理している。
「でさ、この前、甥っ子が実家に彼女を連れてくるって連絡があってさ」
料理が運ばれてきたところで、ユイがパシャパシャと写真を撮りながら切り出してきた。
「でね、行ってみたらその彼女がヒューマノイドだったわけよ。もう、これが甥っ子の趣味全開。姉に彼女を紹介してきた時の状況聞いたんだけど、姉の旦那は腰抜かしてたって」
「へぇー、今の若い子ってそこまで来てるの?」
ケンスケが驚きの声を上げる。
「ああ、そういえばうちの会社の若い子もそういう子いるとか聞いたわ。あんまり公言はしてないみたいだけど」
アンディがふと思い出したように漏らした。
「マジ?」
ケンスケは思わずアンディの方を振り向いて尋ね、アンディも「マジ、マジ」と応じた。
料理を食べ終わったころに、端末がメッセージの受信を知らせた。宛名を見てみると妻のサトミからである。
【キヨタカとハルカの予防接種の予約、忘れてないよね】
(忘れてた)
「すまん、ちょっと席外す」
食後のコーヒーを楽しむ二人に断ってからテーブルを離れ、端末からAIを呼び出す。
「キヨタカとハルカのインフルエンザの予防接種の予約を頼む。できれば今度の土日の近場の病院で。あと、役所への医療費助成の申請も一緒に頼めるか?」
「旦那様の御意のままに。個人IDの情報を役所と医療機関に提供してよろしいですか」
「もちろん」
ここまでやっておけば、あとはAIがバックグラウンドで役所のシステムにアクセスし、住民票の情報を取得して申請様式を埋めてくれる。
必要な作業は最後に承諾ボタンを押すだけだ。そのため、役所窓口は今や基本的に二四時間三六五日アクセス可能で、わざわざ出向く必要も無い。最後に役所に行ったのがいつだったか、記憶がおぼろげですらある。これでサトミに怒られることもないと、一安心して席に戻ると、二人はコーヒーを飲み干し、店を出る準備をしていた。
「すまん、待たせた」
「じゃ、出よっか。流石と認めざるを得ない味よね。切る焼く煮るくらいはロボットならお手のものと思ってたけど、デザートのケーキのスポンジのきめ細かさとクリームのなめらかさ。あれは普通の人間には真似できないわ」
「お嬢様。本日のランチの摂取カロリーは八〇〇キロカロリーでございます」
会話を遮るように、ユイの端末がやや渋めの声で知らせてくれた。どうやらユイが写真をしきりに撮っていたのは、記録用と言うよりは摂取カロリーの計算をしてもらっていたようで、その結果が出たようだ。
「『お嬢様』とか、ユイ、お前も大概だな」
ケンスケはアンディと目を合わせて苦笑した。ユイはややバツが悪そうにしきりに照れていた。
三人で店の出口までの少し長い廊下を歩く。 壁にはモンサンミシェルの写真が投影されており、フランスの街並みを満喫していると、ピッと電子音が鳴る。このエリアは支払いエリアであるが、それを意識させることなく通過することで自動的に決済が行われる仕組みだ。支払い内容は自分の端末に表示されるようになっている。現金は端末に履歴を残さないでプレゼントなどの「秘密にしたい消費」をしたいときに使うようになった。今は、そろそろ来るサトミの誕生日にサプライズをするべく、現金は手にする機会があるごとにこっそり貯めている。
ユイと別れてから移動中、端末を確認するとさきほどの予防接種の申請様式がもう出来ていた。問題なさそうなので承諾ボタンを押す。サトミにも「やっておいたよ」と用件を端的に伝えておいた。
会社に戻ると、面接用AIからさきほどの面接者たちの評価が終わったとの通知が来ていた。
「三人目の方が優秀であると判断しました。これまでのキャリアにも偽りがないようですし、冷静さと自信が見て取れました。蓄積された過去の面接者のビッグデータからも上位三割の能力を有していると思われます。あとは一人目の方か五人目の方でしょうか。三人とも採用してもよろしいかと思います」
AIは面接者のバイタルや視線の動き、声の調子も合わせて評価しているようだ。
「一人目よりは四人目の方がコミュニケーションもかみ合っていたと思うんだけどな」
AIにメッセージで反論してみる。
「四人目の方も悪くはないのですが、やや勇み足過ぎるきらいがあると考えます。また、私が考えるこのプロジェクトの重要性を考えると、情報の整理力や分析力において、少し力不足感があると思います」
そんなやりとりを続け、
「じゃあ、報告資料をまとめておいてくれる?」
AIとのメッセージを終える。
「あとはAI様の御意のままに、上に判断仰ぎますか」
ただちに、AIが最終的な採用案をまとめ、上司への報告を行ったが、AIの判断には特に異を挟むつもりはないようで、この採用案で進めることとなった。
その後、面接者への通知準備や採用者の契約手続の準備を進めていると空に茜が射してきた。時計を見ると一六時半過ぎだ。今日は朝型の勤務をしたので、ここらで仕事を切り上げることにする。
家に到着し、玄関を開けると、ハルカが「パパおかえり」といいながら出迎えてくれる。
ハルカは昨晩から熱を出して今日保育園を休んだがもう元気いっぱいの様子だ。
夕食、そして家族との団らんの後、テーブルにはケンスケと妻のサトミ、そしてAIロボットのアイコ。夫婦のお互いの決め事として、大事な話の時にはアイコを同席させるようにしている。アイコも積極的に発言はしないが、発言を求めると客観的なコメントをしてくる。
今日のお題は家の購入である。今の部屋はハルカが生まれる前から借りているものであり、ハルカもだいぶ大きくなって手狭になってきたということで、そろそろ家の購入も視野に入ってきている。
「自分用の書斎があったら、家で仕事するようになって家族と過ごす時間がもっととれるようになると思うんだけどな」
家族会議の冒頭、ぼそっと要望を告げてみる。
「はいはい。そういってやったとこ見たことないわよ」
「いやいや本当にそう思ってるんだ。こんなにもAIが仕事を代替する時代になると、若いときには想像つかないくらい自分に余裕が出てきて、考え方も変わってきたって実感するよ」
ケンスケの言葉を聞いて、サトミはうれしく思った。その気持ちは素直に出せずにサトミは会話を続ける。
「でもまずはハルカの個室でしょ、それからもう少しリビングを大きくしたいかな。あ、そうそう、あとはアイコが広いシンクのついたシステムキッチン欲しいって言ってたわよ」
「嘘付け」
「そんなことないわよ。もっといいキッチンならアイコも料理美味しく作れるわよね?」
「…」
「ほら。アイコだって反応しないじゃないか。まあいいや。部屋のことは今後詰めていくとして、結局のところうちがいくら位の家を買えそうか試算してみるか。アイコ、頼むよ」
「わかりました。それでは、この一年の収入及び購入履歴を指定の銀行に送信してよろしいでしょうか」
「ああ、もちろんだよ」
アイコが自分とサトミの端末からそれぞれの購入履歴を、個人IDから収入の情報を取得してまとめて指定の銀行の融資システムに送信する。最近では収入だけでなく、大きな買物を中心に支出も提出することになった。「自分がちゃんとした経済活動を行っている人間である」ということを示すために、些末な支出情報であっても銀行に提出し、融資AIに判断してもらうのだ。融資可能額の判定を受けて、ひとまず今日のところは会議終了。アイコにも良さげな物件をピックアップしておくようにお願いし、寝室に向かった。
この章に登場した未来の姿
あらゆる翻訳
目や耳が不自由でも、外国語が苦手でも、自分の選んだメニューで会議の内容を翻訳して自在に伝えるシステム。
三つ星マシン
各地の素材を使いつつ、個人の健康状態も加味しながら、家庭や有名レストランの味をAIが正確かつ高速で再現。
どこでも手続
24時間受付のネット窓口が当たり前となり、画面をさわると現れる忠実で有能な執事ロボが、お役所イメージを刷新。
らくらくマネー
支払は完全キャッシュレス。購買履歴の作成や信用データの形成も自動化でき、家計管理・借入れや各種申告も簡単に。