新時代家族 ~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~
平成三十年四月(初版)
総務省 未来デザインチーム
平成三十年四月(初版)
総務省 未来デザインチーム
アイコがドアを開ける音でサトミは目覚めた。
「よしっ」
勢いよく起き上がると、そそくさと支度を始める。
「今日は、出社日だったか」
続いて起きてきたケンスケがそう言いながらリビングへとやってきた。
「ええそう。あれ、あなた昨日得意気にコーディネートしてたネクタイと違うけどどうしたの?…まあいいか」
「朝食をお持ちしました。キヨタカさんも間もなくやってきますので召し上がり下さい」
アイコは朝ご飯を運んで来るとともに、キヨタカの様子も教えてくれた。
「ありがとうアイコ。出社日にこうして家事を手伝ってくれてほんと助かるわ」
育児や多種多様な仕事をこなすサトミが、心に余裕をもちながら全てをこなせているのは、三年前に我が家に来た「お節介ロボット」、アイコのおかげ。家事全般をサポートし、家族を支えてくれている。
「本当だよな。先月だったか、すごい暑かった日あっただろ。俺が一番早く家に帰って来た日だったけど、家着いたらエアコン効いててさ。誰だよつけっぱなしで出かけたのって思ったら、アイコが付けてくれていたんだよね。俺の端末を通じて外出先からそろそろ戻るのがわかっててやってくれたんだよ。アイコに助けられたよ。やっぱり学習していくんだな。いつか俺たちなんかより賢くなるのかな」
「でもあなた、最近端末のAI変えたじゃない」
アイコがいる傍で、サトミが迷惑な突っ込みをしたところで、リビングにキヨタカがやってきた。
良いところに来たとばかりに、ケンスケはキヨタカに声をかけ、話しているようだ。その一方でサトミは、ハルカの体調についてアイコに相談をする。ハルカの今朝の状態を確認し、体調がまだ回復していないので今日は保育園を休ませること、一日面倒を見ることをアイコに指示を出した。
「お昼ご飯は消化が良くて栄養価の高いものを食べさせてね」と最後に付け加えてリクエストした。
好物は分かっているので、おいしく食べられるものを考えてくれるはず。
「じゃあ行ってくるねー」
準備を終えたサトミは、ハルカの体調が心配であったが、時間も迫っていたのでそこはアイコに任せ家を出発した。
なんとか時間通りに出勤。早速開発担当のチェンに声をかける。
「おはよう。昨日『職場スイッチ』から確認させてもらった、新製品の相撲稽古特化型ロボット『Doすこい太郎』だけど、旧型の『はっけYOHいち』と対決させてみようか。『Doすこい太郎』が勝てば問題ないってことで進めましょう」
「わかりました。『はっけYOHいち』にも思い入れがあるので、番狂わせを期待します。投げる用の座布団、一応持ってきますね」
「良いけど、そしたら開発失敗って事だからね・・。なあに言ってんだか」
「そうでした。『はっけYOHいち』には酷ですが、今日が断髪式ということになるわけですね」
こんなことを言っているチェンだが、一年のうち大半は海外を転々として暮らしている。プロレスや総合格闘技などの分野において海外で開発されているトレーニング用ロボットを調査し、相撲のレベル底上げを狙いとした相撲稽古特化型ロボットの開発プロジェクトに還元できるよう尽力している。この日は、日本で暮らす息子の誕生日であったため、帰国していた。
近年は、このように特定の場所に定住しない人たちがますます増えているが、チェンは税金も収め、社会保険にも加入しているれっきとした「国民」だ。
「二人とも縁起の悪いことを言っているなぁ」
横から開発担当の先輩であるユウイチがツッコミを入れる。
サトミの勤め先は、AIやロボットの、設計・製造、販売、設置、運用・保守のライフサイクル全体に携わっているロボットメーカーだ。もともとインドの小さなロボット製作会社だったが、いまやこの業界では世界最大の企業となり、サトミはその日本支社に勤めている。昔から機械いじりが好きで、設計がやりたくて入社したが、「設計から運用、さらにはその機器が社会にどんなインパクトを与えるか、それを考えるのがデザイン」との創業者の思想のもと、設計から運用まで、全ての部署を経験し、いまではそれらの部署を統括する部署にいる。
この相撲稽古特化型ロボットのプロジェクトはユウイチのアイデアから始まった。ユウイチは現在八〇歳になるが、以前勤めていた保険会社を定年退職後に、スキル転換支援制度を活用して大学に通い始め、ロボット工学を専攻したらしい。
その後、今の会社に入社し、昔から好きであった相撲にロボットを活かせないかと考え、旧型の『はっけYOHいち』が誕生した。ユウイチのように定年退職後に新たな分野にチャレンジする人も最近では珍しくない。
「では、いきまーす。はっけよーい、残った!」
『どぉぉすこいっ!』
『んんごっっっつぁああん!』
ロボット同士が相撲を取り始め、どっすっ、と重量級の音がした。双方のロボットが立てた音は床、壁、天井までも揺らした。
「すごい迫力。相撲部屋で朝稽古見てるみたい。やっぱり現場での仕事もまだまだ必要ね」
そうサトミが言うのも、今や仕事は「職場スイッチ」によって、周りから隔離されたバーチャルかつセキュアな空間をつくりだし、遠隔勤務でこなすという働き方が広まっている。
サトミは週四日は「職場スイッチ」を利用して勤務しているのだ。ただし、週一回は、出社を義務づけられている。というのも、ロボットのデザインは、実物を人間の目で見たり、肌で触れたりする必要があるためだ。また週一回の出社で職場の人と直接会うことは、サトミにとっての楽しみにもなっている。
『どぉぉぉぉっっこいっ!!』
「おおーっDoすこい太郎がいったあ!」
『ごっつぁんでした』
新型『Doすこい太郎』の勝利で幕を閉じた。開発は順調のようだ。この先は、入社してからサトミが一番こだわりを見せるようになったデザインを仕上げていくこととなるが、今後の進め方についての詳細な打合せを行った後、サトミは会社を後にした。午後からは小学校教師へとスイッチするのだ。
長くAI・ロボット関係の仕事をしていると、明るい面だけでなく、セキュリティや倫理といった面も考えさせられる。ロボットを含む様々なモノがインターネットにつながる世の中で、ハッキングされたロボットが暴走した事故もこの間あったばかり。自動走行車もいまや当たり前だが、AIが、事故を回避できないとの判断の下で、三名の歩行者より一名の運転手の安全を優先し、歩行者が負傷したという事案が起きた時には、社会的な議論を巻き起こした。AIやロボットの光と影、その狭間でなんだかモヤモヤしていたとき、教師という副業に導かれたのは一年前のことだ。生まれ育った故郷の小学校教師である友人から、
「月に一回遠隔で授業してみない?」と誘いを受けた。
「AIで子どもが勉強する時代に私が教えることなんてあるの?」
「サトミが今やっている仕事とか、そこで感じていることをみんなに話してくれればいいよ。現役のロボットメーカーに勤める者として、プログラミングやテクノロジーの教育の授業を行ってくれる人が求められているのよ」
そう言われ、最初は困惑しながら始めた遠隔授業だったが、今ではこの仕事を引き受けて本当によかったと思っている。
一昔前なら「フリーランス」とか言われていたかもしれないが、今では、サトミのように自らのスキルや能力を時間単位で「切り売り」して所得や生きがいを充実させようとするライフスタイルは当たり前のものになっている。
「すごぉい。それサトミ先生がつくってるの!」
「イカしてる! おれもそういうのつくる仕事やりてえ」
目を輝かせる子供たちと接する中で、自分が今やっている仕事がもたらす明るい未来を強く信じられるようになった。
今では、子供たちに明るい未来を届けるために、AIやロボットの光と影の双方を受け入れ、自分に何ができるのか前向きに考えられるようになった。加えて、違う土地で暮らしていても、幼少期を過ごし愛着のある地元に貢献できているという実感もあり、サトミにとって遠隔授業は明日への活力の源泉になっている。
今日は、午後の遠隔授業の前に職員会議が行われる予定だ。近くのお気に入りのカフェに入り、バーチャルな仕事場を作り出す「職場スイッチ」を起動させる。
「職場スイッチ」は、あらゆる情報が収集・蓄積される社会において、ハッキングされないようにセキュリティレベルが調整でき、プライバシーを守ってくれる優れものだ。アメリカ人の英語教師は母国から、下半身不随の教師は自宅からホログラムで会議に参加している。
「時間になりました。職員会議を始めます」
会議進行などの補助を行うAIスピーカーの声で会議が始まった。会議が進む中、
「ちょっと、各クラスの生徒の成績を出してくれるかな」
という教頭先生の指示で、補助AIが例年の成績の平均値と比較したデータを映し出した。会議内容は自動的に記録され、関係者に即時共有される。発言一つ一つ気が抜けないが、AIが進行役として各参加者の意図をくみ取って適切な選択肢を与えてくれるので、意志決定のスピードは飛躍的に向上した。
今日も子供たちの教育方針について有意義なディスカッションができたところで、サトミは「職場スイッチ」の舞台を教室に移し、授業へと向かった。
この章に登場した未来の姿
お節介ロボット
目覚め・歯磨き・着替え・朝食などの忙しい朝支度をスムーズに準備させてくれるお節介な手伝いロボット。
職場スイッチ
複数の仕事に就き、時間の切り売りで個人の能力を最大限発揮。家でもカフェでも、スイッチ1つで切り替わるバーチャル個室で効率サポート。