新時代家族 ~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~
平成三十年四月(初版)
総務省 未来デザインチーム
平成三十年四月(初版)
総務省 未来デザインチーム
このデイジー図書は、著作権法第37条第3項に基づき、障害や高齢等の理由で、通常の活字による読書が困難な人のために、いちえ会がマルチメディアデイジー化したものです。
出典:総務省 未来デザインチーム 小説「新時代家族~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~」より作成
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02tsushin01_04000517.html
licensed under CC-BY 2.1 JP
1.このマルチメディアデイジー図書は合成音声で録音しています。聞き取りづらい場合がありますのでご了承ください。
2.このマルチメディアデイジー図書は、2018年4月17日公表された総務省 未来デザインチームによる小説「新時代家族 ~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~」を収録したものです。
3.この図書の、第一章から第六章までの各章末には、「この章に登場した未来の姿」として、未来のサービスや機器の説明とイラストを掲載しています。これは、小説と同時に総務省により公表された「IoT新時代の未来づくり検討委員会 中間とりまとめ『未来をつかむTECH戦略』の「2030年代に実現したい未来の姿」から、該当分をいちえ会が抽出したものです。
4.この図書のページ区切り位置は、マルチメディアデイジー図書の製作ルールに基づくため、原本と異なります。
序章 1ページ
第一章 世界と 6ページ
第二章 故郷と 15ページ
第三章 友達と 21ページ
第四章 地域と 30ページ
第五章 過去と 37ページ
第六章 家族と 45ページ
終章 53ページ
あとがき 57ページ
この仕事をしていると、ごくたまに、青く光る目の中に飛び込んで中を探検してみたいと思うことがある。
子供のころに海中水族館に連れて行ってもらったとき、丸い窓に手と顔をべたーっとはり付けて外の海を眺めていた感覚と似ている。
太陽の光に反射して銀色に輝く魚たち、彩り豊かな珊瑚礁。それに、自分がまだ知らない生物がいると思うと好奇心をかき立てられるという気持ち。
でも、私の目の前にある「青いもの」はもちろん海ではない。しかし、海と同等、いや、それよりもずっと広大で、秘めたる可能性を持っていて、人には理解し得ないであろう進化を続けている。それも海の生物の種類が増えることや、海底の形が変わっていくよりも遙かに早く。
いったい、「彼ら」はどこに行くのだろう。何をするのだろう。ある程度予想はできるが、それが限界では決してないだろう。
なんだか、ちょっと笑ってしまう。
人は自分で水槽を作って魚を泳がせ始めたにも関わらず、今ではその底が見えなくなっているんじゃないかと。
魚の絵が描かれたマグカップのコーヒーを飲み干し、軽く水で濯ぐと、再びドリンクサーバーのカップホルダーに置く。
ちょっと迷った後、緑茶のボタンを押した。
「多機能対話型学習AIロボット」の製造には、人間による起動テストと会話テストが必須の工程とされている。どこかの役所がそういうことにしたらしい。ロボ工場の従業員にしてみれば、その役所の下請けが作ったらしい試験要領に沿って淡々と作業を進めるのみだ。
仕事と割り切ってはいるけど、こんなに便利なロボットとAIなんだから、会話テストだってAIとやればいいのにと、ぶつぶつと呟く。少なくとも、この道数十年のプロというわけでもない普通の人間よりは正確かつ早くテストが終わりそうなものだ。
仕切りのガラスにはテストの進捗がリアルタイムで表示されている。その向こう側には、高齢だがまだ健康そうな男性が腰掛けていて、お茶を飲みながら開発部から回されたAIロボットの製造指示を眺めている。思えば、数年前までは自動走行車工場の生産ラインロボだとか、スーパーマーケットの商品補充ロボだとか、いわゆる工業・商業用がほとんどだったが、ここ最近は一般家庭用の家事全般ができる人型の多機能ロボの生産が増えている。とうとうAIロボットが家庭にまで入る時代に、人に寄り添って暮らす時代にまで来たかと。時間の問題だったが、いざそういう社会が近づいてみると何やらもどかしい気もしてくる。
「ん~、この子はオッケー!」テストルームにあるイスから伸ばした両手が現れる。背もたれが大きく倒れ、上下が逆になったしかめっ面の女性の表情からは、声を発さずとも「めんどくさい」と聞こえてくるようだ。
「はぁー。なんでAIが自分で全部やってくれないんすかねぇー」
「リンちゃんもこっち来てお茶飲むか?全自動栽培ものの茶葉一〇〇%だぞ」
青々とした美しい茶畑をバックに、名前は忘れたが若者に人気のタレントがお茶を飲んでいる広告がドリンクサーバーに表示されている。昔、四~五〇人くらいのアイドルグループが好きだったなぁなんて思いながら見ていると、すぅーとガラスのドアがスライドして開く音がした。
「もー! 休憩! タカさん、一〇分くらい外します! あ、お茶もらっていきまーす!」
「はは、一緒にお茶しようと思ったら振られちゃったか」
「さーてと、次はどの子かなっと!」
休憩から戻りお茶が入っていたタンブラーを傍らに置く。イスの背もたれを元の位置に戻して両頬を軽く叩く。テストルームにはまだまだ多くのロボットの個体があるという現実を前に自らを奮い立たせると、火が入ってないロボットの空虚な目と再び向き合う。
「防水防塵耐衝撃試験の問題はなし。家事一般の動作テストの挙動も問題なし。人類の心理・会話・行動データパックも最新型をインストール済み、と…」
すでにAIによる製造ライン監視をくぐり抜けてきた良質の個体だ。そんな粗は見つかるはずも無い。だが、生活に密着するロボットだ。何かあったらまたロボットに対する批判が噴出するかもしれない。こんなに便利でありがたい存在なのに使いづらくなってたまるかと思えば、それなりに真面目に取り組む気になれる。
認証を受けた製造工場のテストルームにしかない特殊なシステムでないと、AIロボットのメンテナンスモードは立ち上げることができない。休憩前まで何度となく繰り返してきた動きと同じように、正確かつ効率よく出荷前の従業員テストモードの行程を進めていく。
「おはよう。わたしはリン。テストモードの間の数分間だけの付き合いだけどよろしくね」
「おはようございます。私はFDシステム社製多機能対話型学習AIロボット製造番号DPSI―5735です。よろしくお願いします。リンさん」
「…うん。ちゃんと認識できているみたいね」
世にある対話型ロボットにはみんな固有の名前が付けられている。利用されている現場ならば各々の名前を名乗るだろう。購入後に必ずユーザーが設定することになっており、ユーザー(または家族、企業であれば管理担当の職員など)の声で命名してもらう。ユーザー登録のようなものだ。
今はテストなのでこういう名乗り方になるのだが、いかにもロボットっぽい一面を見ている気がして、このモードを設定した人は昔のSFが好きなんじゃないかと思うことがある。現に、昔の映画でよく見た金色の翻訳ロボットと同じ名前を設定した年配の方を複数人知っている。憧れが現実になってうれしいのはわかるが、クラシック映画の設定じゃこの時代の子供達には受けないかもしれないな。
動作確認テストとはいえ、ただ動かすだけではもったいない。何かやってもらおう。手元のデバイスに表示されているテスト実施要領には「こんな問いかけをしてみましょう」という記載の下にごくごく基本的な動作を要求するような質問が並んでいる。「そこのソース取ってくれないか?」というのもあるが、さすがにコロッケ定食を食べながら仕事をする程熱心ではない。というか、何だこの質問は。マニュアル作成者のロボットのイメージがわからないし、テストの現場をどこだと思っているんだ。
「もー! こんなしょうもないこと書いてあるんだからまったく…」
「お疲れのようですね。タンブラーにお茶のおかわりを入れてお持ちしましょうか」
さすが、というかもはや当たり前だが、私の表情や言葉、目(カメラ)に入る映像から得られる情報から提案してきた。これができればテストは問題ないだろう。
「緑茶にはテアニンというアミノ酸の一種が多く含まれていまして、リラックス効果や疲労回復にも…」
「わかったわかったわかった!ありがとう!お願いするわ」
「かしこまりました」
「タカさーん、本日分のチェック終わりでーす。私はもう出るので、何かあったらメッセージ送ってください」
「はい。お疲れ様―」
ロボットがお茶をドリンクサーバーに取りに来たのは何時間前だったか。気がついたら終わったようだ。テストルームのライトが消え、リンはコートとバッグを小脇に抱えながら部屋を出て、足早に自動運転バス乗り場に向かっていく。小学生のやんちゃな子供が可愛くて仕方ないらしい。
デバイス片手に子供にメッセージを送るリンが出て行くのを見送ったあと、ふと、休憩前のリンの愚痴が頭をよぎる。
「全部AIがやる世界か…」
平成の時代が終わってから何年が経っただろうか。かつては自分もAIやロボットが普及する礎を築くために汗をかいたものだ。確かに技術は目覚ましいスピードで進化した。例えば、今勤めている工場のような製造ラインの仕事はロボットが作業に当たっている企業がほとんどだ。なにせ、製品のエラーや従業員の事故が圧倒的に少ない上に作業も早い。
これから出荷されるAIロボット達もどこかで誰かの生活の助けになるだろう。ロボットに限らず、AI制御による各分野の自動システムのおかげで人間の暮らしは大きく変わった。やろうと思えば世の中の出来事すべてAIが管理する時代も空想の世界の話ではない気がする。
「…でも、最後の最後に、責任ってやつだけは相変わらず人間にあるんだよなぁ」
何かを思い出すように少し顔を上げて、そして、目の前に浮かび上がっている「製造番号DPSI―5735」の最終テスト結果を確認し、承認を出した。